個人的文章

 2018年4月13日の夜、父が死んだ。1年以上、静かに闘病を続け、やっと回復への一歩を踏み出したかと思われた矢先の再発。そこからの数週間を何度も反芻している。

 未だ整理がつかない。

 重い現実感とともにまだ覚めない悪夢の中にいるような感覚。残された者として、与えられた者として前に進まなければならないという思いはあるが、生来の怠惰な性格も相まってますます動きを鈍くする。

 父と過ごした時間、父からもらったものを思い返し、そして、定年を迎え、これから本当にやりたいことを一つずつやり遂げるはずだった父の無念を考えるとただただ泣けてくる。

 父からもらったもの。まず、名前。「思生」と書いて「しう」。まあ、珍しい名前。「思うように生きる」という意味だと聞いた。

 長くそれ以上のことは考えてこなかったが、父は「信行」で「信じて行く」なので同じ構成にし、母が「恵子」なので一文字目に「心」がつく漢字を持って来たのかなと、ふと思い至った。父に確認することはもうできないし、母にすることもないだろうが、病室での二人を見てふとそう思ったのだ。お互いを思いやり、尊重しあい、二人の息子としての証も思いもこめて丁寧につけてもらった名前なのではないかと。弟の名前も同じ構成だし。

 もう39年、この名前なので今さらではあるが、改めて振り返って見ると、多くの人に「いい名前ですね」と言ってもらえた。

 一方で、風変わりな名前ではある。しかし、「人と違うということ」が(それそのものは)少しも悪いことではなく、恐れることでもない、と色々なことを通して教えてもらった。そのせいか、この名前を一度もいやだと思ったことはない。

 個人的文章である。追悼文というわけでもなく。未だ抜けられない澱んだ泥のような感情の中で、もう一度、自分という人間の形を探りなおす。生きていかなければならない。いつかまた、父とみんなで酒を呑むときがくるまでは。

 「文章を書く」ということも父に教わった。ある時から随分さぼってしまった。もう少し上手だった気もするが、こんなもんだったかもしれない。また、ちょっとがんばってみようかと思う。本当は「最初に見た映画の記憶」について書こうと思ったのだった。また、書きます。

                                       長瀬 思生

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